Diary(日記)

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2004年12月17日

物は使いよう!!
記事の編集
日頃から文章を書く習慣もなく、まとめる能力もないので、誤字脱字、構成については「ごめんなさい」と言うほか無い
学生時代にレポートを提出して「X線写真」を「X戦車心」と変換して提出したことさえある(笑)

「根本法と具体法」といきなり言われても「???」と思われるでしょう。
これは「韓氏意拳」の韓競辰老師(特に老人という意味ではなく中国語で「先生」という意味)が言われている言葉です。
「意拳」の歴史や「韓氏意拳」の事はリンクにある「内家武学研究会」「いかりや呉服店」または甲野先生のホームページをご参照下さい。

現在、様々な武術があります。日本にも中国にもまた世界にも。私自身もいろいろやってきました。
しかし韓先生は「ほとんどの武術は使い物にならない!!」と言われます。それは「ほとんどの武術が人間の構造、生理、運動などの原理原則に沿っていないからだ」
う〜ん、とても耳が痛い

「根本法」というのは全てのものが平等にもつ原理原則で、人間が人間であるための骨格、体重、構造、生命としての能力もその中に入る。
逆に「具体法」はテクニックみたいなもので武術に関して言えば「突きを受けて蹴りを入れる」というような具体的にどのように行うかを指す(説明になってないかな?)
なので意拳では具体法は重要ではなく根本法がとても重要になってきます。
現在、行われている武術と言われるほとんどのものが「具体法」のみが先行して、「根本法」が無くなってきている。
具体法(テクニック)は根本法(原理原則)があってのものです。

これはカイロプラクティックにも言えることで、カイロプラクティックは患者を治す(根本法)または今よりもっと良い健康状態にすることが目的で「○○テクニックは良い」「○○(道具・機械)はよく効く」などは先生と道具(テクニック)との相性で、その道具(テクニック)を使う人間(先生)が何を目的に使うかが重要になってくる。

材木を切るためにはノコギリが必要で金槌は必要ではありません。また包丁も料理人が使えばおいしい料理が出てくるが、銀行で使えば…
などのように使用する人間によって効果は別なものになってしまいます。
武術もカイロプラクティックまたは医療も、この根本的な原理原則から外れてしまっては何の意味も無くなってしまいます。

最後に意拳の創始者、王郷齋(日本語読みで"おうこうさい")老師(郷は上にくさかんむりが付くが漢字がないので)の言葉で。
「不求形骸似 但求神意足」
形の似るを求めず、ただ神意(能力)の足ることを求める。

追記
GAKKEN MOOKから「決定版「ナンバ歩き」で身体改造」に甲野善紀先生の特集が掲載されています。内容はナンバ歩きから介護のお話まで盛りだくさんです。
それから12/20号「AERA」の現代の肖像に名腰康文先生の特集が掲載されています。ご一読を
明宏





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